鈴鹿タウンガイド

石薬師(いしやくし)

石薬師

広重の書いた 東海道五十三次にも出てくる石薬師(いしやくし) 東海道五十三次の44番目の宿場

国道一号線沿いにあるのでクルマで走っているとすぐにわかりますが 電車などの公共交通機関で来る場合はちょっと不便な場所にあります

JR関西本線で 河曲(かわの)駅から歩くのが一番近いかな・・・・という感じがします。地図だけで見ると加佐登駅(かさど)からでもいけそうに見えるのですが ちょっと加佐登駅から石薬師寺だとアップダウンがキツイので。

 

***三重県HPから引用***

「石薬師」の副題は、宿場の南端にあり宿場名の由来ともなった「石薬師寺」です。石薬師宿は、慶長6年(1601)の東海道宿駅制によって当初置かれた四日市宿と亀山宿の間の距離が長く離れすぎて人馬の往来に困難が生じていたことから、その解消のために元和2年(1616)に新たに設置された宿場です。また、現在も旧街道沿いに残る石薬師寺は、石造薬師如来を本尊とする古刹(こさつ)で、江戸時代には東海道を往来した旅人はもとより、参勤交代の西国大名も参詣して道中の安全を祈願したと言われています

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石薬師

石薬師

石薬師

石薬師

石薬師

石薬師

石薬師


***石薬師カンバンから引用***

江戸から101里(り) 34丁(ちょう) 7間(けん) 元和2年=1616年に宿場となった。それまでは高富村と称していた
現在は鈴鹿市石薬師町である。石薬師の地名はこの絵にある(東海道五十三次)高富山瑠璃光院石薬師寺の霊験が広く知れ渡っていたことから村名を石薬師と改めその由来としている。
ご本尊は弘法大師が一夜のうちに爪で彫ったといわれている石薬師如来で、同寺の本堂は寛永6年=1629年に時の神戸城城主 一柳監物(いちやながぎけんもつ)直盛によって再建された。この石薬師たらの正面の道を東へ行くと源範頼を祀る(まつる)御曹子社がある。
その御曹子社の前の道を南へ少し行くと右側に蒲桜がある。源範頼は平家討伐のときに石薬師寺に戦勝祈願をし鞭にしていた桜の枝を地面に逆さにしたそれが芽をふいて育ったと伝えられている。地元では逆さ桜と読んでいる。
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